“熟成ブロガー鹿ベえ”です。

 

ここでは高校を卒業後に初めて就職した会社をすぐに退職したので、当然、次の仕事を探すことになるのですが、次の仕事に就くプロセスとそのお店で勤める側のマナーや仕事の覚え方などについてエピソードを交えながらお話ししたいと思います。

当時の仕事さがしは”ハローワーク”で探すのが普通

 

当時(1977年)は、パソコンが無い時代ですし、もちろんインターネット時代になるなど想像も付かなかったでしょうね。

 

当時仕事はどこで探すのかというと、やはり”ハローワーク“=”公共職業安定所

 

略した呼び方が”しょくあん“なのです。

 

今の若い人は”ハロワ”なんて言ってる人もいるようです。 笑

ハローワークの役割は、企業からの人材募集の受付や企業への応募の仲介、仕事の斡旋や雇用保険の手続きなどをしてくれる機関なので必要な存在なのですね。

 

ハローワークに行くと正社員やパート、アルバイトに分かれて求人のリストがあり、誰でも自由に閲覧する事ができます。

 

会社名は勿論、仕事内容や就業時間、従業員の人数、福利厚生の内容、などが細かく書かれていて、この企業で働きたい場合はハローワークの窓口に伝えて面接の日取りを決めて、後日企業に出向き、面接する事になります。

 

現代ではインターネットで、好きな場所にいて求人情報が見れるわけですから、ハローワークに出向く回数も少なくて済みますし、滞在時間も短かくなるのでストレスから解放されますよね。

 

インターネットを利用できる現代は、つくづく便利な時代だと感じます

 

しかも今はインターネットで個人的に”収入を得られる方法”もある時代ですから、自宅に居ながらにして小遣い稼ぎや副収入も可能だし、それ以上ではインターネットで生活までできるほどの収入を得ている人も居るんですから驚きですよね。

 

さて、鹿ベえの次の就職を探すべく、超! 前向きな気持ちで”ハローワーク”に出向くんですね。

 

たくさんの会社の求人が来ていて、仕事の内容や給与の金額、賞与はあるのか、就業時間、休憩時間、従業員の数、法定福利の有無、制服の貸与はあるのか、休日は月に何回あるのか年末年始やお盆、ゴールデンウィークの休日はどうなっているのかを見て、何社か見ているうちに自分の希望に合った会社が見つかるんですね。

 

いろいろある中で、鹿ベえはある金物屋さんの求人が目に止まりました。

 

この金物屋さんが目に止まったのは、一般家庭用の厨房用品を販売していたり、建築業者や配管業者、土建業、営繕業、鉄工場などの業者向けの道具類や資材関係を扱っていて、それを販売したり、配達する仕事内容に興味をもったからです。

 

待遇面も給料は一般的金額でしたが賞与の支給もありましたし、就業時間や休日などが希望に一致したからです。

 

会社選びで大事な”社会保険”と”厚生年金”

 

特に大事な事は、会社で”社会保険”と”厚生年金”に加入してくれるかどうかということですね。

 

何故ならそれはやはり、”国民保険”と”国民年金”、”社会保険”と”厚生年金”の”比較差”によるものです。

 

基本的に国民保険と国民年金は、社会保険と厚生年金より納付金額は安いのですが、当時国民年金で医療機関に掛ると、自己負担額は3割に対して、社会保険は1割の自己負担ですし、年金にしても国民年金よりは厚生年金の方が受給金額が圧倒的に多いという事です。

※現在は、国民保険、社会保険とも3割負担に変更になっています。

社会保険と厚生年金の仕組みですが、給与の金額に対して社会保険と厚生年金の納付する金額は決まりますが、決まった金額の半分は自己負担で、あとの半分は会社が負担する仕組みになっていて、要するに個人と会社の”折半“ということです。

 

総合的に判断しても、社会保険と厚生年金の方が将来的にも絶対に”良い”ということです。

 

この社会保険と厚生年金の事を”法定福利”と呼びますが、この金物屋さんで社会保険と厚生年金を掛けてくれる待遇だったので、鹿ベえはここに勤める事にした大きな理由の一つでもあります。

 

若い時はあまり考えないのかも知れませんが、晩年の事を考えるとやはり、この法定福利がある会社に勤めるという事がとても重要になってきますので是非知っておいて下さいね。

 

後日面接を受けましたが、前の製材工場で起きた”理不尽”な事に二度とならないように、詳しく内容を確認して、ハローワークの求人内容と違いが無いので勤める事にしました。

 

二度とあんな間違いは御免ですからね。笑

 

新しい仕事のスタート、街の金物屋さん

 

勤めることになった街の金物屋さんでは、家庭用の厨房用品、要するに鍋やフライパン、包丁やスプーンなどたくさんの品物を売っていました。

 

あとは業者さん用の資材関係で、配管用部材のエスロンパイプの直管やL字、T字など、いろいろな種類の部材があったり、袋入りのセメントや溶接に使用するアセチレンガスボンベや酸素ボンベも扱っていて、業者さん用の商品も多数ありました。

 

主に業者さん相手の接客になりますが、店に来た時は、業者さんが欲しい商品を言うと揃えてあげて、会社名宛てに伝票を発行して持たせたり、配達の電話が入ると、商品と伝票を現場まで配達する仕事もありました。

 

あちらこちらの現場にも配達で出かけられるので”“に合っていたわけです。

 

仕事を覚える”方法やコツ”と勤める側のマナー

 

取り扱っている物の種類は多かったので、商品の名前や何に使う物なのかなど、覚えるまでが苦労しました。

 

見たことも聞いた事もわからない部材の名前が出て来ると、お客さんに教えてもらったり、先輩に聞いたりして覚えました、マニュアルや部材のカタログなんて無いわけですから。

 

やはり聞くのが一番早く覚えられます

 

“ことわざ”にもあります、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の損」とね。

 

それと暇な時間に商品や資材、部材を見ておく事です。

 

そして何に使うのか? どこに使うのか? を知っておくと役に立ちます。

 

あとは、お客さんに欲しい商品を言われたらどれを持ってくるのか? 先輩の持ってくる物を見ています。 笑

 

なるほど、あれがあの名前の商品か? と先輩の行動を見て覚えるというのも”あり“ですね。

まあ、仕事の内容はそれほど難しい仕事はありませんが、今、記憶に濃く残っている事は、先ほど書いた溶接用のアセチレンガスボンベと酸素ボンベの配達ですね。

 

空のボンベだと50kg強の重量で、それにガスが充てんされていれば60kg強の重さになります。

 

先輩のボンベの扱いを見ていると実に簡単なように見えるんですね、でもいざ自分が扱ってみるとボンベに振り回されて前にも進めないどころか左右に揺さぶられてしまいます。

 

移動はボンベの底の一部を接地させたまま回転させて移動させ、軽トラックに積みます。

 

完全に持ち上げるのではないので、全重量を持つわけではないんですが、これが最初は、移動すら出来ないんですね。

 

鹿ベえは、何とかこのボンベを上手に移動出来るようになろうと、何度も”練習”した記憶があります。

 

“負けず嫌い”な性格も手伝うんでしょうね。

 

しかし、ボンベをどの角度まで倒すとか、重心はどこに置いて回すなど先輩に教えてもらって何度も何度もチャレンジしていました。

 

“コツ”さえ掴むと”力”の無い者でも簡単に扱えるようになり、そして形の違う物にも応用ができて、世の中のいろいろな仕事で使う事ができます。

 

鹿ベえは、後の仕事で200L位の冷蔵庫の移動が一人でできるようになったり、担げるようにもなりました。

 

その店には、中学生の時に顔見知りだった1歳年上の先輩とおばちゃん店員が勤めていて、先輩は数年会っていませんでしたが、顔見知りということですぐに溶け込めましたし、3人とも性格が明るく、明朗活発で冗談が好きな人でしたから気も合って一緒に仕事をするのも楽しかったです。

仕事が入ると3人で競うように手際良く作業もしますし、仕事が無い時は倉庫を片づけたり、品物の整理をしたりしていました。

 

問屋さんから入荷した品物があれば、伝票と数の違いが無いかチェックして、決まった場所に置くわけです。

 

仕事が無いから暇ではなくて、仕事は探せばいくらでもあるものです。

 

例えば、倉庫やお店の普段できない所の掃除をするとか、倉庫の片づけや窓みがきをするとかなど考えてみればいろいろと出てきます。

 

正しい理由があっての場合は別ですが、欠勤や遅刻、早退などをしないで、仕事にまじめに前向きに働いていれば、やはり会社から”信用”が付きますよね。

 

そうなると人間関係も良くなり、楽しい職場になるものです。

 

人生においても”信用”の二文字は、目に見えない大きな財産だと思っています。

 

あの、ト〇タ自動車のグループ会社からのオファー

 

街の金物屋さんに勤めて1年とちょっとが過ぎた頃だったと思います。

 

あのト〇タ自動車のグループ会社である、その名も”ト〇タ家庭用機器北海道販売”という営業所の所長さんが私の所へ来て、「話があるから一度会ってほしい」という事なので、後日お話しを聞くことになりました。

 

ト〇タ家庭用機器北海道販売という会社は、ベッド、ミシン、毛糸の編み物機、テレビ、ビデオ、ソファーセット、サイドボードなどを販売している会社なのですが、業務係と言って、商品の納品時の使用説明や修理を担当する部門という事でした。

 

機械いじりは好きな方ですから修理をする仕事に深く興味を持ちましたし、ト〇タ自動車のグループ会社ということで、組織が大きいという点も惹かれた部分でした。

 

待遇条件も街の金物屋さんよりもかなり良かったので、将来の事も考えてお世話になる事にしました。

 

街の金物屋さんは1年程度で去ることになりました。