“熟成ブロガー鹿ベえです”
鹿ベえの商売編、第3話では、「ディスカウントショップの貸店舗さがしと銀行融資を受けるのに奔走した」お話しをしました。
ここの鹿ベえの商売編、第4話では、「ディスカウントショップの開店に向けての準備と商工会議所の不思議な対応」についてお話ししたいと思います。
【鹿ベえの年表】
年号 | 鹿ベえの年齢 | 鹿ベえの人生で起きた事 |
1958年 | 0歳 | この世に生を受ける |
1962年~1977年 | 4歳から19歳 | 幼稚園、小学校、中学校、高校に通い卒業 |
1977年 | 19歳 | 木工場と金物屋さんに勤める |
1978年 | 20歳 | トヨタグループの家庭用機器販売の会社に勤務 |
1979年 | 21歳 | トヨタ自動車販売ディーラーでセールスとして勤務 |
1981年 | 23歳 | 病気をして販売ディーラーをやむなく退社 |
1986年 | 27歳 | ディスカウントショップ開店 |
1987年 | 29歳 | 持ち帰りすし店開店 |
1987年 | 29歳 | ディスカウントショップ新築移転オープン |
1992年 | 34歳 | 官庁庁舎インショップオープン |
1998年 | 40歳 | 酒類のディスカウントショップオープン |
2006年 | 48歳 | 弁当及びレストラン開業 |
2007年 | 49歳 | 自動販売機のフルオペレーション |
2019年 | 60歳 | 現在も自営業を営む
現在、アフィリエイトに挑戦中! |
ディスカウントショップオープンに向けての準備
オープンの日にちが決まったら、チラシを印刷屋さんに頼んで作成してもらいます。
しかし、商品の写真を写さなければならないので、商品を取りに行きます。
2トンの箱型のトラック1台とハイエース3台の商品になりました。
店内にどんどん商品が入ります。
問屋さんは、どこに商品を陳列するのか、頭の中に入っているようで、
テキパキと指示を出して、それに従う感じです。
だんだんと店らしくなって来ました。
商品がすべて陳列されれば、印刷屋さんを呼んでチラシに入れる商品の写真を写してもらい、販売価格を伝えます。チラシの出来上がりが楽しみです。
チラシの作成費用は、1枚1.5円で18,000枚配布しますので、1回のチラシ代は、27,000円くらいになります。
売り出しは金曜日にチラシを配布するのが普通で、金・土・日曜日の3日間のセールということです。
チラシの配布は新聞折り込みで、1枚0.8円くらいの料金で18,000枚なので、14,400円になりチラシ印刷代と合わせると、合計41,400円になります。
さてこれで、商品も並び、チラシも作成されオープン当日を待つだけとなり、問屋さんからの応援は3名でこちらもアルバイトを入れて6名の体制を取りました。
当日は天気が晴れることを期待したいです。
商工会議所の不思議な対応
オープンの前にこんなこともありましたね。
地元で商売をするのなら、商工会に入った方がいいのか?とか
ある意味、商売の仁義なのかとも考えて、商工会議所に出向いて、
商工会に入るにはどうすればいいのか? ということを尋ねました。
これから始める商売の内容や店舗の場所などを伝えました。
では後日、ご回答しますということでした。
連絡があり再度出向きましたが、そこでは考えられない回答が返ってきたのです。
「商工会の会員にもお伺いしたのですが、会員には入れない」という回答でした。
要するに、安売りという異色の商売に対する敵対心と警戒心なのだという事を強く感じました。
まあ、入れてくれなくたって商売はできる訳だし、会費も払わなくていい訳だし、いいかという思いと、お店をオープンさせたら、この街で「仁義なき戦い」になると約束しました。
遠慮がいらないわけですから。
いいですねー あの 深作欣二監督の映画 仁義なき戦いですよ。
差し当たって 文太兄いの広能昌三ですかね。 (笑)
「わしゃ~商売が好きやけんのう!」 (笑)
でも、本来、商工会議所というのは、こういう若い者の商売を応援して、”商売人の人材育成”と”商店街づくり” をする機関だと思うのですが・・会員の古たぬきの言う事には従わなければならないのでしょうね。
これから2年で私の店舗は新築移転することになるのですが、移転してから3年が経った頃でしょうか 商工会の人がある日、店に来ましたよ。
「商工会の会員になってほしいんですが?」 ・・・ はぁ????
まあ都合のいいもんですね 当時のいきさつを話してお帰りいただきました。(笑)
妙な勝利感を覚えましたね。 会員になって欲しくて頼みに来た訳ですから、私の勝ちだなって 入るわけねぇ~だろって。(笑)
ディスカウントショップがいよいよオープン!
時期は早春、天気は晴れ!
開店30分前になると、人が並びだしました。
はじめての事なので、ドキドキ ソワソワ(笑) 落ち着かない。。。
やはり、安いのでその商品を求めて来るのです。
チラシの中には目玉商品といって、多少利益のある物もありますが、仕入れ価格や仕入れ価格を下回った価格で販売する商品を入れます。
お客を安さでお店に来てもらう作戦なのです
開店時間近くになると、ますます人が増えていきます。
こんなに店内に入れないなというくらいの人の数になりました。
いよいよ開店時間です。
お客が買物カゴを持って店内に雪崩込みます。
目玉商品はドンドン売れて行きます、その他の商品もカゴに入れていますね。
早速、レジも稼働をし始め、レジの前は列になっています。
目玉商品の一部は、この街で価格破壊の値段でした。 そんなもんですから”飛ぶように売れる“とは この様なことをいうのですね。
商品の一部は無くなりそうです。 それを見た問屋さんは2時間掛けて補充したい商品を取りに行ってくれました。
午後からの客の入りは良く。 オープン初日は、忙しくて楽しかったのを覚えています。
まずまずの開店だったのではないでしょうか。
ディスカウントショップの新規問屋さんさがし
お店の定休日は毎週水曜日に決めました。
で・・・定休日に休めるかというと、仕入れに行かなければなりません。
1週間で売れた商品を補充しないと店内がガラガラになりますし、新しい商品がドンドン入ってきますので、これまた売り上げに繋がるわけです。
仕入れのために中古のハイエースも購入しましたので、朝、出発して2時間かけて、問屋さんへ行きます。
仕入れたい商品を選んで車に積み込みます。
毎回ハイエースのルームミラーで車の後ろが確認できないほど車の中は商品で一杯になりました。
結構夕方近くまで掛りましたので、帰宅は夜になりましたね。
次の日からは店の営業ですが、仕入れてきた商品を店の営業をしながら車から降ろして陳列します。
これが1年半くらい続いたのでずが、流石にその期間休みが無いのはきつかったですね。
これは問屋を増やさないと、今後も大変になると考え、いろいろな分野の問屋さんへコンタクトを取り始めたのです。
日用品・雑貨品・文房具・金物・お菓子・飲料水・ペット用品・ディスカウント品、食料品・電気製品・電化品・電化小物・園芸用品・カー用品・アウトドア用品などの問屋さんが必要になります。
当時はホームセンターという店が無い時代でしたので、ホームセンターのミニ版という感じでしたね。
連絡の取れた問屋さんからは、営業担当の人が来るわけです。
商品の卸価格などを聞いて、支払い方法や支払い日などを話し合います。
現金取引だというと価格も安くしてくれました、現金の強みでしょうか?
現金と言ってもほとんどの問屋さんが、 月末〆の翌月末払いで取引してもらえます。
最終的に取引の始まった問屋さんは、50件になりました。
商品も送ってもらえるので、やっと1年半ぶりに休みが取れるようになったのです。
それからは、一生懸命楽しみながら経営に勤しんでいました。
ここの店も落ち着いた時でした、中型のデパートの前に 持ち帰りのすし屋さんが
あったのですが閉店したとの噂を耳にした 鹿ベえは、ここでも商売の虫を起こすのです。
まとめ
開店準備がはじまりました。
地元の商工会議所で入会を断られることがありました。
オープンセールは盛況でした。
以上、鹿ベえの商売編、第4話でした。